Wednesday, January 15, 2014

二十歳 (はたち) の頃

晩ご飯の準備をしながら、ラジオを聴いていたら、DJが『今日は1月15日。昔は成人式があった日ですよね〜。皆さんが二十歳だった頃はどんなでしたか?』と言っていた。ふと、私が二十歳だった頃のことを思い出した。

私もその昔、二十歳だった時があった。もう今からちょうど15年も前のこと。でもまだあの頃のことは、鮮明に覚えている。私は世田谷にある私立大学に通う二年生で、三年生になったら交換留学でアメリカに行く!と心に決めていたので、交換留学生になる為に必死にTOEFLの勉強をしていた。私は昔からやけに自立心が強い子だったので、二十歳になるにあたって、留学以外にも心に決めたことがあった。それは、今までしてもらっていた親からの仕送りを断って、経済的に完全に自立すること。私の中で、二十歳=大人、という構図が出来上がっていて、それは揺るぎないものだった。周りの友だちは、「まだ大人って言っても学生なんだから、そんな無理することないよ、親だって、まだ頼って欲しいと思うよ。」と口を揃えて言ったが、私の心は変わらなかった。

金銭的な完全自立を果たすには、バイトを掛け持ちしなければならなかったし、家賃の安いアパートに引っ越す必要もあった。私はそれまで住んでいた7万8千円のアパートを引き払い、4万3千円という世田谷区では破格のアパートを見つけて引っ越した。夜の塾講師に加え、早朝のコンビニでのバイトも始めた。朝5時から9時までコンビニ、その足で大学へ向かって授業に出て、またその足ですぐに旗の台の塾へ走った。塾で教えるのは楽しかった。しかも他の講師は同年代の大学生。東工大、早稲田、慶應、東京理科大、中央、東京学芸大。色々な大学から色々なメンツが集まって、塾の仕事が終わってからもみんなで塾の講師室に残って話したり、ご飯を食べに行ったり。終電近くに帰るなんてこともしばしばだった。でも私の安アパートはなんとシャワーもお風呂もなかったので、銭湯の閉店時間までには世田谷に帰って来なくてはならなかった。銭湯を逃した夜は、台所の流し(!)に体ごとよいしょ、と入って体を洗ったこともある。そんな夜は「何やってんだろ、私!」とひとり笑った。若かったなあ、若いって素晴らしい、と今になっては思える。でもあの頃、実は何度も「あー、あの時意地張って仕送りを断っていなかったらなあ」と思ったことがある。

そんなある日、私は一円の重さをひょんな事件で知ることになる。その日、いつものように塾の仕事を終えて家に帰って来た。さー、ゆっくりお風呂に入るぞ!とお財布の中身を見ると、394円しかない。当時の銭湯の値段は395円。なんと一円足りないのだ!!部屋中ひっかき回しても、一円玉は見つからない。たかが一円、されど一円。一円を笑うものは一円に泣く。文字通り、私は一円に泣いた。私はたった一円足りなくて、その日お風呂に入れなかった。無念極まりない中、私はこの日のことを、ずっと覚えていようと思った。そして、一円の価値を身をもって学ぶことになった。

そんなこんなで二十歳の頃の私は、お風呂に入れない日もあるくらい生活に困窮していた。でも、私には夢があった。アメリカに留学するんだ。そうすれば、全てが変わる。そう信じて疑わなかった。二つのバイトの掛け持ちとTOEFLの試験勉強漬けで、へとへとになりつつあった4月の昼下がり、私は郵便受けに大学からの封書があるのを見つける。中身は交換留学生の試験に合格したという通知。私はそれを見るなり地べたに座り込み、人目をはばかることなく、大声で泣いた。全ての努力が報われた気がした。

二十歳の頃。懐かしいけれど、戻りたい?と訊かれたらちょっと考えてしまうなあ。今となっては笑い話になるし、武勇伝にも聞こえるかも知れない。でも、当時はこれでも結構辛かった。特にお風呂がないボロアパートに住んでたのは、恥ずかしくてあまり人には言えなかった(一応女の子だし)。ましてや好きな男の子に「私の部屋、シャワーないの」なんて言えない。だから、彼氏もできなかったし作ろうともしなかった。でも、あの頃培った不屈の精神みたいなものは、いつまでも忘れずにいたい、とよく思う。あの風呂無しビンボー生活がなかったら、今の私はない、とも思う。

そんな二十歳の頃でした。みなさんが二十歳だった頃は、どんなでしたか?

ちょうどこんな感じのアパートで、下の階には大家さん一家が住んでいました。二階は私の部屋ともう一つ部屋があって、おばあちゃんが住んでいました。今もあるのかしら?世田谷区等々力の、、、4丁目だったっけかな?

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