9月6日 日曜日
今日は朝から雨が降ったり止んだりのすっきりしない天気で、私は図書館から借りて来た村上春樹のエッセイを読んではうとうとし、起きてまたその本を開いて少し読んでみては眠りに落ちたりして、一日のほとんどをベッドの上で過ごした。
マイクはと言うと、ここのところ何かに取り憑かれたかのようにコンピュータに向かい、なんと昨夜は一度もベッドに来なかったから、一睡もしていないことになる。それでも目を爛々とさせて、今も同じ体勢で仕事をしている。これには感心を通り越して呆れてしまう。さっき台所で緑茶を淹れている彼と鉢合わせになり、何気なく横に並んでみると、明らかに私の方が背が高い。一日中寝ていた人と、一日中寝なかった人との間ではこんなにも顕著に身長に差が出るものか!と身をもって知った。
たった今、その村上春樹のエッセイを読み終えたのだけど、すごく面白かった。「村上朝日堂はいかにして鍛えられたか」という本なのだけど、この間図書館に行った時に「本日返却された本」というカートを何気なく見たら並んでいたもので、その題名を聞いた事もなければ、もう20年近く前に出されたような本だったので、さほど期待はしていなかったが、それをいい意味で小気味に裏切ってくれた。前にも書いた事があるけれど、本当に面白い本に出合うと「一刻も早く次のページへと読み進みたいけれど、この本が終わってしまうのが惜しいから、出来るだけゆっくり噛み締めながら読みたい。それでもいかんせん早く先が読みたい」という葛藤にぶち当たる。そういう本だった。
中でも面白かったのは、村上春樹の21歳になる長寿の飼い猫、ミューズの話だ。あまりのおかしさにククククっ!と笑いがこみ上げて来てしまう事が何度もあった。隣の部屋では口を尖らかしてマイクが仕事をしているので、気付かれないように静かに笑うのがやっとだった。前に「村上さんのところ」というサイトで読者が「村上春樹の本は胎教に悪い」と言っていたのを思い出したが、こんなにも笑える内容ならば、問題はないだろうと思って最後まで読破した。そして、面白い本を読むと決まって思う事がある。「お兄ちゃんもきっと好きだろうな...。」...ということで、早速アマゾンで同じ本を注文し、お兄ちゃん宛てに送った。窓の外からは降り止むところを知らない秋雨の音。そして隣の部屋からは依然としてパソコンのキーの音が鳴り止まない。そんな日曜の夜更けです。さ、私はお風呂に入って寝よう。
Monday, September 7, 2015
Wednesday, July 22, 2015
A collection of random thoughts on a Wednesday night
It's Wednesday night on July 22nd, 2015. I'm now 28 weeks
pregnant, which means I'll have a baby in about 10 weeks. Wow. I just
looked at my belly which is really starting to show lately. Despite the
fact that I am unmistakably pregnant and everyone on the train wants to
give up their seats for me nowadays, the idea of me becoming a mother
still hasn't quite caught up with me yet. I thought I became pregnant
only a month ago or so but it's been 28 weeks already; yes I have come a
long way. I didn't have a morning sickness, and I kind of knew that I
would have an easy pregnancy even before I got pregnant. Why? Because
I'm lucky like that. I have never even had cramps during my period, and
who doesn't?? I hope I'll continue to be lucky and I'll have an easy
delivery as well, but who knows? Luck isn't the most dependable thing in
the world.
The rainy season ended and the summer has come
to Tokyo a week ago. We had a real nice June and the beginning of July
with lots of rain and the cool weather to accompany. It rained day after
day, and everyone complained but I didn't mind the rain. I actually
never mind the rain. I secretly wished the rainy season would never end
but it decided to go away with the typhoon which visited here out of
season. Hate is a strong word, and I rarely use it, but I hate summer. I
hate the heat and the humidity. I hate getting tanned. Well actually I
don't hate getting tanned; I hate getting freckles. Tuesday, May 12, 2015
Tuesday, April 28, 2015
Sunday, January 25, 2015
仕事に出かける時の自分、どんな顔してますか?
今日は日曜日だけれど、マイクは朝からHTML5 Conferenceという会議に意気揚々として出かけて行った。その晴れ晴れしい顔。見ている方まで楽しい気持ちになる。この人は、本当に仕事が好きなんだなあ、とあらためて感じる幸せな瞬間。思えば、「情熱が持てる仕事に就くことの重要さ」を教えてくれたのは、他でもないこのマイクだ。
今から6年前。私は30歳。9年ほど住んだアメリカを去り日本に帰国。ほどなく友人が慶應義塾大学のとある団体の研究室での事務職を勧めてくれた。空から降って来たような話だった。その研究室に居たのがマイク。彼の専門はWebで、何も知らない私に色々と教えてくれた。でも私の仕事は専ら事務や雑用。仕事にはすぐ慣れたし、同僚は皆親切だったが、いつしか私は退屈な毎日を送るようになる。その傍ら、マイクや他の同僚は仕事に熱い。熱くなれる何かと毎日向き合っている。そんな人達に囲まれて仕事をするうちに私も考えるようになった。私も私にしかできない、そして私自身が本当に熱くなれる、情熱が持てるような仕事に就きたい。
それから私は再び渡米をし大学院で3年間、言語学の勉強をしながら、学部生に日本語を教えることになる。正直、かなりハードだった。言語学の基礎的な知識も無い上、日本語を教えた経験も皆無だった。もう32歳になっていた私は一回りも若い同級生に体力の差を感じながらも、負けず嫌いなところだけは群を抜いていたので、頑張りすぎる日々が続き、体調を崩したり、情緒不安定になることもあった。その間もずっとマイクは応援してくれた。嬉しいことがあった時には喜びを分かち合い、壁にぶつかった時には最善の策を講じてくれた。だから、そうして取得した修士号はマイク無しでは語れない。
今私は自分が本当に熱くなれることをして、お金をもらえている。初めてのことだ。こんなにも幸せに満たされた気持ちになるとは、想像もしなかった。ケンタッキー州に住んでいた時に大学でピアノレッスンをしてくれたミスター・ルイスが口癖のように言っていた言葉を思い出す。先生はその時72歳。歩くのもままならないようなおじいさん先生だった。でもまだまだ現役でピアノを教え続けたい。この仕事からは一生引退したくないんだ。と言っていた。英語では、"I love my job, and I never want to retire!!" だったかな。もの凄く印象的だった。当時私はケンタッキー州にある自動車工場で購買やプランニングの仕事をしていた。それなりにやりがいもあったけれど、辞めたくない仕事なんて存在するのか?と懐疑的だった。今、ミスター・ルイスの言葉がホンモノだったことがわかる。私も日本語教師という職からリタイアしたくないと強く思うから。一生続けていきたいと思える仕事に出合えた幸せを噛み締めて、この気持ちを忘れずにいたい。
今から6年前。私は30歳。9年ほど住んだアメリカを去り日本に帰国。ほどなく友人が慶應義塾大学のとある団体の研究室での事務職を勧めてくれた。空から降って来たような話だった。その研究室に居たのがマイク。彼の専門はWebで、何も知らない私に色々と教えてくれた。でも私の仕事は専ら事務や雑用。仕事にはすぐ慣れたし、同僚は皆親切だったが、いつしか私は退屈な毎日を送るようになる。その傍ら、マイクや他の同僚は仕事に熱い。熱くなれる何かと毎日向き合っている。そんな人達に囲まれて仕事をするうちに私も考えるようになった。私も私にしかできない、そして私自身が本当に熱くなれる、情熱が持てるような仕事に就きたい。
At W3C Keio SFC office. Look how BORED I look!! :) |
Flirting? Yes :) |
それから私は再び渡米をし大学院で3年間、言語学の勉強をしながら、学部生に日本語を教えることになる。正直、かなりハードだった。言語学の基礎的な知識も無い上、日本語を教えた経験も皆無だった。もう32歳になっていた私は一回りも若い同級生に体力の差を感じながらも、負けず嫌いなところだけは群を抜いていたので、頑張りすぎる日々が続き、体調を崩したり、情緒不安定になることもあった。その間もずっとマイクは応援してくれた。嬉しいことがあった時には喜びを分かち合い、壁にぶつかった時には最善の策を講じてくれた。だから、そうして取得した修士号はマイク無しでは語れない。
Graduation. Purdue University. May 2013 |
今私は自分が本当に熱くなれることをして、お金をもらえている。初めてのことだ。こんなにも幸せに満たされた気持ちになるとは、想像もしなかった。ケンタッキー州に住んでいた時に大学でピアノレッスンをしてくれたミスター・ルイスが口癖のように言っていた言葉を思い出す。先生はその時72歳。歩くのもままならないようなおじいさん先生だった。でもまだまだ現役でピアノを教え続けたい。この仕事からは一生引退したくないんだ。と言っていた。英語では、"I love my job, and I never want to retire!!" だったかな。もの凄く印象的だった。当時私はケンタッキー州にある自動車工場で購買やプランニングの仕事をしていた。それなりにやりがいもあったけれど、辞めたくない仕事なんて存在するのか?と懐疑的だった。今、ミスター・ルイスの言葉がホンモノだったことがわかる。私も日本語教師という職からリタイアしたくないと強く思うから。一生続けていきたいと思える仕事に出合えた幸せを噛み締めて、この気持ちを忘れずにいたい。
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Sunday, January 4, 2015
読書感想文:東京タワー オカンとボクと、時々、オトン
実家に帰省して一週間も経つと、いよいよ退屈になってくる。テレビも見飽きた。そこで二階の本棚から何冊か読みかけの本を持って来て、こたつに寝転がって一冊一冊読み潰していった。「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」(リリーフランキー著)はその中の一冊だ。
この本がベストセラーになった2005年。私は米国ケンタッキー州のはずれにある小さな町に住み、トヨタ自動車系列の会社に勤めていた。その年の暮れ、正月休みで一時帰国した時にこの本が目に留まり、買ってみて途中まで調子良く読んでいたものの、物語終盤でいざ「ボク」の「オカン」が死ぬ、という場面になってたまらなくなり、パタンと本を閉じたままになっていた。読んでいられなかったのだ。その時は、あと何日かしたらまた家族を残し、一人アメリカに戻らなければいけない、ということからか、親が死んでしまう話など読むに読めなかったのだ。あれから9年。私は帰国しまさかの結婚もして、両親も元気に同じ日本に住んでいる。今なら読めるだろう、と意を決して、そのしおりの挟まった本を再び開いた。
大きな間違いだった。何度となく涙で目の前の本の文字がかすみ、何度となく本を閉じた。親の死。親を持つ者には誰にも必ず訪れる、悲しすぎる出来事。できれば想像もしたくない。他人事に思っていたい。だからたとえ本の世界であっても、直面したくないのだ。そう実感した。
それでも涙を拭き、鼻水をかみ、何度も中断しながらもこの本を9年越しに読了することができた。物語の終わりに、「オカン」を亡くした「ボク」(リリーフランキー)は乗降客でごった返す東京駅にたたずみ、こんな風に綴っている:
『...今日も東京には、どこからか人が集まり溢れかえっている。
それぞれが...ひとりで生まれ、ひとりで生きているような顔をしている。
しかし、当然のことながら、そのひとりひとりには家族がいて、大切にすべきものがあって、心の中に広大な宇宙を持ち、そして、母親がいる。
この先いつか、或いはすでに、このすべての人たちがボクと同じ悲しみを経験する。
...人が母親から生まれる限り、この悲しみから逃れることはできない。
人の命に終わりがある限り、この恐怖と向かい合わずにはおれないのだから。』
当たり前の事だけれど、こうして文字にされると、しみじみと考えてしまうような文だ。
私は本を閉じて、こたつでテレビに夢中になっている親の姿を見た。
優しい言葉のひとつでもかけてあげたい。
「ありがとう」と言えるうちに何度も何度も言ってあげたい。
現実と向き合うのは、思ったより難しい。
この本がベストセラーになった2005年。私は米国ケンタッキー州のはずれにある小さな町に住み、トヨタ自動車系列の会社に勤めていた。その年の暮れ、正月休みで一時帰国した時にこの本が目に留まり、買ってみて途中まで調子良く読んでいたものの、物語終盤でいざ「ボク」の「オカン」が死ぬ、という場面になってたまらなくなり、パタンと本を閉じたままになっていた。読んでいられなかったのだ。その時は、あと何日かしたらまた家族を残し、一人アメリカに戻らなければいけない、ということからか、親が死んでしまう話など読むに読めなかったのだ。あれから9年。私は帰国しまさかの結婚もして、両親も元気に同じ日本に住んでいる。今なら読めるだろう、と意を決して、そのしおりの挟まった本を再び開いた。
大きな間違いだった。何度となく涙で目の前の本の文字がかすみ、何度となく本を閉じた。親の死。親を持つ者には誰にも必ず訪れる、悲しすぎる出来事。できれば想像もしたくない。他人事に思っていたい。だからたとえ本の世界であっても、直面したくないのだ。そう実感した。
それでも涙を拭き、鼻水をかみ、何度も中断しながらもこの本を9年越しに読了することができた。物語の終わりに、「オカン」を亡くした「ボク」(リリーフランキー)は乗降客でごった返す東京駅にたたずみ、こんな風に綴っている:
『...今日も東京には、どこからか人が集まり溢れかえっている。
それぞれが...ひとりで生まれ、ひとりで生きているような顔をしている。
しかし、当然のことながら、そのひとりひとりには家族がいて、大切にすべきものがあって、心の中に広大な宇宙を持ち、そして、母親がいる。
この先いつか、或いはすでに、このすべての人たちがボクと同じ悲しみを経験する。
...人が母親から生まれる限り、この悲しみから逃れることはできない。
人の命に終わりがある限り、この恐怖と向かい合わずにはおれないのだから。』
当たり前の事だけれど、こうして文字にされると、しみじみと考えてしまうような文だ。
私は本を閉じて、こたつでテレビに夢中になっている親の姿を見た。
優しい言葉のひとつでもかけてあげたい。
「ありがとう」と言えるうちに何度も何度も言ってあげたい。
現実と向き合うのは、思ったより難しい。
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