今から6年前。私は30歳。9年ほど住んだアメリカを去り日本に帰国。ほどなく友人が慶應義塾大学のとある団体の研究室での事務職を勧めてくれた。空から降って来たような話だった。その研究室に居たのがマイク。彼の専門はWebで、何も知らない私に色々と教えてくれた。でも私の仕事は専ら事務や雑用。仕事にはすぐ慣れたし、同僚は皆親切だったが、いつしか私は退屈な毎日を送るようになる。その傍ら、マイクや他の同僚は仕事に熱い。熱くなれる何かと毎日向き合っている。そんな人達に囲まれて仕事をするうちに私も考えるようになった。私も私にしかできない、そして私自身が本当に熱くなれる、情熱が持てるような仕事に就きたい。
At W3C Keio SFC office. Look how BORED I look!! :) |
Flirting? Yes :) |
それから私は再び渡米をし大学院で3年間、言語学の勉強をしながら、学部生に日本語を教えることになる。正直、かなりハードだった。言語学の基礎的な知識も無い上、日本語を教えた経験も皆無だった。もう32歳になっていた私は一回りも若い同級生に体力の差を感じながらも、負けず嫌いなところだけは群を抜いていたので、頑張りすぎる日々が続き、体調を崩したり、情緒不安定になることもあった。その間もずっとマイクは応援してくれた。嬉しいことがあった時には喜びを分かち合い、壁にぶつかった時には最善の策を講じてくれた。だから、そうして取得した修士号はマイク無しでは語れない。
Graduation. Purdue University. May 2013 |
今私は自分が本当に熱くなれることをして、お金をもらえている。初めてのことだ。こんなにも幸せに満たされた気持ちになるとは、想像もしなかった。ケンタッキー州に住んでいた時に大学でピアノレッスンをしてくれたミスター・ルイスが口癖のように言っていた言葉を思い出す。先生はその時72歳。歩くのもままならないようなおじいさん先生だった。でもまだまだ現役でピアノを教え続けたい。この仕事からは一生引退したくないんだ。と言っていた。英語では、"I love my job, and I never want to retire!!" だったかな。もの凄く印象的だった。当時私はケンタッキー州にある自動車工場で購買やプランニングの仕事をしていた。それなりにやりがいもあったけれど、辞めたくない仕事なんて存在するのか?と懐疑的だった。今、ミスター・ルイスの言葉がホンモノだったことがわかる。私も日本語教師という職からリタイアしたくないと強く思うから。一生続けていきたいと思える仕事に出合えた幸せを噛み締めて、この気持ちを忘れずにいたい。