私が読売新聞の中で好きなのは「人生案内」というコラムで、読者が抱える悩みが赤裸裸に綴られた投稿に対して、専門家がアドバイスを書くというもの。あるときは60代の女性が、『不倫していた相手にお金を貸していたけれど、彼が最近病気で入院してしまった。でも会いに行けないしお金も返してもらえない、どうしたらいいでしょう?』とか、70代で結婚したことも、女性とお付き合いした経験も無いという男性が、『若い頃からずっと醜い顔のことで悩んできた、やっとこの歳で好きな女性(60代)ができた。でも顔のコンプレックスのせいでうまく話ができない、どうしたらいい?』とか。それはもう様々で、そこいらの下手な小説を読むより面白い。昨日の悩める子羊は12歳の小学生の女の子で、仲の良い友だちが自分の真似をしてイライラしている。どうしたらいいか、という相談だった。小学生なりに深く悩んでいるのだろうけれど、自分の飼っているハムスターに良く似た名前をつけて友だちもハムスターを飼い始めた、というくだりで思わず吹き出してしまった。でも、その子にとってみたら、とんでもない事件であり、真摯に受けとめてあげなければいけない。ひとそれぞれ、老いも若きも悩みは絶えないものなのだな、と思い、何故かほっこりした気分で最後の社会面に進んだのはいいが、そこで「養子の明日」という特集を読み、ひとしきり考え込んでしまった。
その記事によると、現在全国で0歳〜2歳までの孤児は約3000人で、少子化と言われる中、前回1995年(1997年だったかも?)の記録から1.2倍に増えているという。その数字以上にびっくりしたのが、その乳孤児達の養子受け入れを希望する親の養子縁組がなかなか成り立たないという現実だ。というのは、実の親が「いつか引き取れる日が来るかも知れない」と言って養子に出すのを渋っていたり、「養子となって他の家庭で育つよりも、施設で育ってもらったほうがいい」という(自分勝手な)願いから来るものらしい。実際に不妊や病気、年齢の問題で子供が望めない夫婦が孤児院に養子縁組を希望しても、断られるケースのほうが多いというのだ。私は愕然としてしまった。その特集は養母に育てられたという、下の男性の言葉で締めくくられていた。
『一つ屋根の下で暮らし、喜怒哀楽を共にすれば、本当の親子になれる。一人でも多くの子が家庭的な環境で暮らせる世の中になってほしい』
—読売新聞 朝刊 社会面 2013.12.15 「養子の明日」より
日本では「養子縁組」というと、婿養子のほうがまだ一般的で、恵まれない子供を血の繋がりは関係なく家庭に迎え入れる、という養子の形態は、外国(特にアメリカなど)と比較すると、まだまだ浸透していないように思う。日本にこれだけの数の孤児がいるとわかれば、是非養子に迎えたい!というアメリカ人は星の数ほどいるだろう。でも日本人の夫婦にさえこんなに厳しくしている養子縁組制度が、アメリカ人の夫婦なら易しくなるとは思えない。返って難しくなるのだろう。法律の問題なのだろうか?それとも日本人の感覚というか、血縁関係に重きを置く文化が関係しているんだろうか?簡単な問題ではないけれど、他人事にも思えない。私も結婚して夫の娘の継母になった。血の繋がりこそはないけれど、彼女のことを本当に大切に思い、新しく家族ができたことを心から嬉しく思っている。日本はこれからどんどん晩婚化が進んでいくだろうから、養子を希望する夫婦が増えていくのは確かだろう。早期の制度の見直しが必要なように思う。ここでひとつ付け加えたいのが、実際に施設で育ったという人の話を聞いたわけではないから、施設で育つ子供は皆不幸だ、と決めつけるのは間違いだろう。でも、やっぱり温かい家庭で育ったほうが、ひとは幸せなんじゃないか?と思うのは偏った考え方なんだろうか。そんなことを、新宿の銭湯の待合室で、一国を背負う大統領みたいな難しい顔をして考えていた。ふと隣に目をやると、若い男が鼻くそをほじりながら懸命に漫画のページをめくっていた。