あまり裕福でない家で育った私は、親に新しい物を買ってもらった記憶があまりない。なんでも「おさがり」だったし、サンタさんも実用的な物しかくれなかった。今思い出すとちっぽけなことばかりだけれど、小さい頃って何でもかんでも大問題なものだ。よく覚えているのが、ボロボロの自転車。小学校3年になると学校で自転車教室なるものがあって、実際に道路に出て自転車の乗り方を覚える、みたいなことをしなくてはならなかった。それまで自転車がなかった私に、母の知り合いが使わなくなった自転車を譲ってくれたのだが、これがとにかく古くて格好悪かった。しぶしぶそれに乗って行ったけれど、みんな他の子はその日のために買ってもらった新品の自転車に、得意顔で乗っていた。私は穴があったら入りたい心境だった。それからスケート教室。これも小学校の行事だが、自分のスケートがある人はそれを持っていくのだが、私のスケートはまたしてもボロボロの兄のおさがりのスケート靴。友達が履いている真っ白のフィギアスケートが輝いて見えた。
そうやって、友達の持っている物を羨ましがる私に母がよく言った。
「ひとはひとでしょ?」
その言葉は小さかった私の心に響いた。何回も言われたからだろうか?それとも小さいなりに納得したからだろうか?
それから、友達が何か真新しい物を持っていたり、かわいい服を着ていたりしても、「ひとはひと」とまじないのように心に念じた。そうすると不思議と気分も落ち着いて、羨ましい気持ちも吹き飛んだ。
そうしていくうちに、いつからか私は、他人が持っている物や、他人そのものを羨ましがらない人になっていた。無い物ねだりをしなくなり、自分の持っている物、また自分そのものこそが、一番、というどこからともなく湧いて来る根拠のない自信、そして独自のスタイルまがいなものも生まれて来たような気がする。それが他のひとにとって良質のものに見えるかどうかは決してわからないけれど。それは問題じゃない。結局は自分がどうあるか、だ。今でもそれは変わらない。今の自分が一番好きだし、今あるもの、与えられたものに感謝して、みんなが持っているから、という理由だけで容易に欲しがったりしない。でも完全に無欲なわけでもない。本当に自分が良いと思うもの、喉から手が出るほど欲しいものは、人一倍努力して、何が何でも手に入れる。
ひとの持っている物や置かれている状況ばかりがよく見えてしまうことはないだろうか。それを羨ましがって、自分もそれを手に入れないと気が済まない、と思うことはよくあるかも知れない。でも、自分は何が好きで、自分には何が似合って、自分には今何が必要で、というような根本的なことを、ふと考えるようにする。母からもらった「ひとはひとでしょ?」という言葉はこれからも私に色々なことを教えてくれると思う。
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