Saturday, September 14, 2013

A new translation of "The poet" (詩人) by Shuntaro Tanikawa (谷川俊太郎)

The poet
                                      from "Superman and many others"
                                by Shuntaro Tanikawa (trans. by Naoko Ishikura)

The poet always looks in the mirror, whenever there is a mirror
In order to check whether or not he is a poet
Writing poems doesn't make him a poet, but 
He can tell at first glance by looking in the mirror
That's his own theory
The poet is dreaming of his face becoming a postage stamp one day
If possible, he says he wants to become a real cheap stamp
Because that way, he gets to be licked by many people
The wife of the poet is cooking yakisoba noodles
With a sulky look


詩人          
        『スーパーマンその他大勢』より
           谷川俊太郎

詩人は鏡があると必ずのぞきこみます
自分が詩人であるかどうかたしかめるのです
詩人かどうかは詩を読んでも分からないが
鏡を見ればひとめで分かるというのが持論です
詩人はいつの日か自分の顔が
切手になるのを夢見ているのです
できればうんと安い切手になりたいんですって
そのほうが沢山の人になめてもらえるから
詩人の奥さんは焼きそばをつくりながら
仏頂面をしています







Friday, September 13, 2013

The power of language —東京オリンピック開催地決定に思う—

2020年夏のオリンピックが東京にやって来る。
けれども開催地が決まるほんの数日前、メディアはこぞって、東京五輪の招致は絶望的になった、と報道していた。9月4日に行われた記者会見で福島第一原発の汚染水問題を海外のメディアに問いただされた時に、東京招致委員会の代表が「福島と東京は離れているから大丈夫」といったような内容の答えをして「東京が安全なら福島はどうでもいいのか?」と誤解を生み、結局納得のいく回答にならずに終わり、記者や関係者は、"Disastrous!" (悲惨、破壊的!)と嘆き、会場を後にしたという。

東京の会見は全て英語で行われ、ある記者は、「マドリッドの代表記者会見は全てスペイン語で行われた。東京の代表も無理して英語でやらずに、リスクの少ない日本語でやったらよかったのに。英語でやったから誤解を招くことになった」と漏らした。

ところが日本時間の9月8日、ニッポンの人々は東京五輪招致成功の明るいニュースで目を覚ますことになった。私もツイッターでそのことを知り、目を疑った。
え?!あれほど「絶望的」と嘆かれていたのに、東京にオリンピックが来る。
一体どんなどんでん返しがあったんだろう?

すぐさまその前夜に行われた最終プレゼンの様子をビデオで見てみることにした。

まず東京は皇族の高円宮久子さんをトップバッターに据えてきた。
彼女はひとり白いスーツを身にまとい、紺のブレザー姿の他のメンバーとは意図的に一線を画す形で前列の一番左に座った。
私は実は皇室には昔からあまり興味がないので、彼女の存在すら知らなかった。
どんなスピーチをするのかなあ、と眺めていたら、彼女は気品ある笑みを浮かべながら壇上に上がり、突然流暢なフランス語を喋り始めたので、私は度肝を抜かれてしまった。
途中から、「皆さまに私の言葉をより明確に伝えることができるよう、ここからは英語でお話しさせていただきます。」とさっと英語に切り替え、フランス語がわからない聴衆への気遣いも忘れなかった。
内容は五輪招致ではなく、東日本大震災の復興支援への感謝の言葉とスポーツの持つ力や素晴らしさについてだった。
終始、自信と奥ゆかしさの絶妙なバランスを保ちながらの、堂々とした二カ国語のスピーチに、会場の圧倒された雰囲気が否応無しに伝わってきた。

「この人のスピーチが効いたのだな」と私は思ったが、これは一因に過ぎなかった。
東京招致のメンバーはこの後45分にわたり全て英語かフランス語で熱く語りかけた。
アスリートの二人も、竹田招致委員長も、猪瀬知事も、安倍首相も、堂々と英語でプレゼン。滝川クリステルは終始フランス語で日本人のおもてなし文化を語り、水野理事は英語とフランス語両方でプレゼン。
皆笑顔で堂々としていた。そういう印象だった。
記者会見であれだけ「リスクの少ない日本語でやったらよかったのに」と嫌味を言われたのに、東京は「聞く人の立場」になって、敢えて日本語を避け、IOC公式言語の英語とフランス語にこだわった。
私はこれが効いたのだと確信した。

後でイスタンブールのプレゼンを見てみたら、トルコの首相はトルコ語でスピーチをし、他の代表アスリートもトルコ語だった。マドリードも案の定、スペインの大統領は何のためらいも見せずにスペイン語でスピーチをした。私は米国留学中、たくさんのトルコ人やスペイン人に会ってきたけれど、皆それはそれは流暢な英語を話す。一国の首相や大統領となれば、英語でスピーチするくらい、なんでもないことに思える。そこを、プライドがそうさせたのか、リスクの少ないほうを選んでか、イスタンブールもマドリードも、母国語でのスピーチを選択した。英語はともかく、東京のように敢えてフランス語まで使うようなことはどちらの都市もしなかった。

東京は、日本語を一言も発しなかった。滝川クリステルが言った「おもてなし」も、フランス語訛りの「お、も、て、な、し」だった。まずはプレゼンで通訳を介さなくても、直接みんながわかる言語を使う、そうやって聞き手を思いやる。そこに、IOC委員は東京の、そして日本の「おもてなしの心」いや、「おもてなし根性」を見たのだと思う。

五輪開催地決定にあたり、オリンピックよりも被災地再建が先だろう!オリンピック村の建設よりも、仮設住宅をどうにかしろ!という反対意見も根強い。これからの課題が山積しているし、私もひとえに喜べないところもあるけれど、東京が行った招致の最終プレゼンは、素直に素晴らしかったと思えた。安倍さんの英語は確かに日本語訛りのある日本語英語だった。日本の政治家はもっと英語を頑張らないと、という厳しいツイートもあった。でも彼は、母国語に頼ってのリスク回避や何らかのプライドを守ったトルコやスペインの大統領に、圧倒的な差をつけた。個人的に、彼は支持できない政策ばかりを打ち出して来るし、質疑応答で彼が放った「汚染水は完全にブロックされています」という回答には本当にびっくりしたけれど、私は少なからずとも言語に関わる研究者として、彼の果敢な英語でのスピーチの挑戦を大きく評価したいと思った。



Tuesday, September 10, 2013

A new translation of 東京抒情 by Shuntaro Tanikawa

A Lyric of Tokyo 
                              by Shuntaro Tanikawa (trans. by Naoko Ishikura)

Children play hide-and-seek in a blind alley in Suginami
Piled salt melts in front of a lattice door in Tsukiji
Tokyo is a page from a discarded manga
A fluorescent light flickers at the storefront of a tailor's shop in Kameido
A radio-controlled boat sinks under a bridge in Tamagawa

Nameless wild flowers blossom along a railway in Okubo
Bach is heard between hedges in Setagaya
Bread rises in an oven in Aoyama
Tokyo is a big tepid sigh
The corpse of a kitten floats in backwater from the ocean in Shinonome 

A bulldozer in Kokuryo smashes a stone arrowhead 
The pupil of an eye starts to open during a surgical operation in Hongo
A horizontal bar in a school playground in Koganei is glittering in the setting sun 
A faucet of a ready-built house in Todoroki keeps leaking 
Tokyo is a poker face that's not good at hiding 

All the beautiful things are turning into lies
The things nobody turn their heads to are indeed the unwavering ones
All the things our spirits brought forth today
An old doll in Roppongi gazes at the sky from the back of a glass case 
A taxi driver in Shinjuku clicks his tongue once again


東京抒情    谷川俊太郎

杉並の袋小路で子供らがかくれんぼする
築地の格子戸の前で盛塩が溶けていく
東京は読み捨てられた漫画の一頁だ
亀戸の洋服屋の店先で蛍光灯がまたたく
多摩川の橋下でラジコンボートが沈没する

大久保の線路沿いに名も知れぬ野花が咲く
世田谷の生垣の間からバッハが聞える
青山のかまどの中でパンがふくらむ
東京はなまあたたかい大きな吐息だ 
東雲の海のよどみに仔猫のむくろが浮く 

国領のブルドーザーが石鏃を砕く
本郷の手術先で瞳孔が開き始める
小金井の校庭の鉄棒が西陽に輝いている
等々力の建売で蛇口が洩れつづける
東京は隠すのが下手なポーカーフェイスだ

美しいものはみな噓に近づいていく
誰もふりむかぬものこそ動かしがたい
私たちの魂が生み出した今日のすべて
六本木の硝子の奥で古い人形が空をみつめる
新宿のタクシー運転手がまた舌打ちをする




Friday, September 6, 2013

文芸評論:関谷英里子著「その英語こう言いかえればササるのに!」を批評します



関谷英里子著「その英語こう言いかえればササるのに!」青春出版社 (2013年8月15日発行)

また残念な本が出てしまった。関谷恵里子さんという通称「カリスマ通訳者」が最近出された本だ。彼女はこの本の中で様々な「日本人がおかしがちな」「間違った」英語を取り上げては、こう言いかえた方がネイティブには通じやすい、と「ネイティブ」目線の添削を繰り返す。

例えば、
日本人が言いがちな間違いとして、
×"Today, thank you for your time."
を挙げています。
今日は、お時間をありがとうございます。」

このくだりを読んだ時の私の第一声は、「この文の何がいけないの???」でした。
関谷さん曰く、Today, と切り出すと今日は特別なアナウンスがあるのかと周りは少し構えてしまうらしく
"Thank you for your time today."
のほうがすっきりする、と添削されています。

一言いいですか?BIG DEAL!!
Todayが先に来ようと後に来ようと何の問題もなく通じます。あれ、先だっけ、後だっけ、どっちだったけな、なんて心配しているうちに肝心なお礼を言うのさえも忘れてしまうかも知れません。Todayが先に出て来ちゃったらそのまま胸を張って言えばいい。Todayと言ったからって、何かアナウンスがあるのかな?なんて誰も構えません。構える人がいたっていいじゃないですか、勝手に構えさせておけば!

他の例は、
×"I'm sorry for your worry."
という日本人が言いがちな文を挙げて、こう訳しています:
『心配してくれて残念です』

まず、この訳は大きな間違いです。sorryは確かに「残念だ」という意味もありますが、この場面では100%「心配をかけてごめんなさい/すみません」の意味で取られるでしょう。

そして関谷さんの添削がまたすごいんです:
"Thank you for your concern."
 「心配してくれてありがとう」
と言ったほうがスマートです、と書かれています。

ここで関谷さんは"I'm sorry"と謝りたい日本人に対して、「心配してくれてありがとう」の方がスマート、と言っているのです。
もう一度いいですか、みなさん、日本人はとにかく謝りたいんです。心配かけてごめんね、って言いたいんです。決して、心配をかけてしまった相手に、心配してくれてありがとうなんて言いたくないんですよ。
これはもう日本文化のひとつじゃないでしょうか。大きなことを言ってしまうと、そういう人種なんです。謝りたいんです。
それと比べてアメリカ人は違いますよ、なかなか謝りません。謝ったら負けだからです。自分が間違っていても謝ったらダメなんです。裁判で訴えられちゃった時に損だし。
ここで関谷さんが言っていることは、日本人に、アメリカ人みたいになりなさい、って言っているも同然なんです。
確かに"I'm sorry for your worry"は不自然な英語なので、本人の意を変えずに直すとしたら、
"I'm sorry for making you worry"ですかね。でも、これもBIG DEAL!!です。
I'm sorry for your worryって言ったって100%通じます。

関谷さんは本の冒頭で、こう自負されています:
「いまは英語は何もネイティブスピーカーだけのものではありません。私は海外はアメリカ、イギリスはもちろんシンガポール、香港、インド、オーストラリアなどのアジアパシフィック地域やフランスやドイツなどのヨーロッパ諸国、イスラエル、クエートなどの中東諸国の人と英語で仕事上のコミュニケーションを取っています。」

ここでまず問題なのが、「ネイティブスピーカー」という言葉。イギリスやアメリカで80年代に生まれたWorld Englishesという分野では最もタブーな言葉です。というのは、シンガポールや香港、インドに住む人達も英語を生活の手段として使っているので、インド人だって立派な英語のネイティブスピーカーなのです。ところが、ここで関谷さんが言うネイティブスピーカーは、何処の国の人のこと指しているでしょう?イギリス、アメリカ、オーストラリア、カナダ、ニュージーランドなどでしょう。英語はもはやイギリスやアメリカなどInner Circleの国のみに属するものではなく、英語を使う全ての人々に属するものなので、色々な英語が存在してもいい、その多様性を認めていこう、というのがWorld Englishesの根本的な考えです。アメリカではアメリカ英語を話し、インドではインド英語を話す、それでいいのです。

関谷さんは、仕事上色々な国の人達と英語でコミュニケーションを取られているわけですから、必然的に色々な訛り、表現やボキャブラリーに日々接しているはずです。そして、その国や地域独特の英語であっても、理解しようという姿勢をお互いに持っていれば、必ず通じ合えることも、身をもって経験されているはずです。ああ、インド英語はアメリカ英語とは違って、こういう時にはこういう言い方をするんだ、と学ぶ事も多いはずです。それなのに、それなのに、日本人の話す英語を日本語英語を認めようとせずに、「間違い」にしてしまう。もったいないとしか言いようがありません。日本人は日本独特の日本語英語を堂々と話せばいいのです。話す相手に理解してもらおう、という姿勢と、話す相手が理解しよう、という姿勢があれば必ず分かり合えます。なにもアメリカ人やイギリス人の真似をして「完璧な」英語を話さなくてもいいんです。だって、「完璧な」英語なんてもう存在しないんです。インド人が話すインド英語を「完璧じゃない」なんて言う資格はもはや誰にもありません。だって、英語はイギリスという国を飛び出した時点で自由の身になったも同然なんですもの。

最近この手の日本人の「残念で恥ずかしい英語」が取り上げられて、本にされてしまって、しかもそれが売れてしまう傾向があります。こういう本を読んで英語を学ぶ人や仕事で英語を使う人は「ああ、こう言わなければいけないんだ」とか「日本語から直訳したような表現では通じないんだな」なんて思って、ますます英語を使うことに消極的になるのではないでしょうか?または、この本で添削された表現を丸覚えして、いわゆる「ネイティブ」が話すような「ソツのない」「つまらない」「色彩のない」「個性のない」英語を使う事に一生懸命になって、肝心な「本当に伝えたい事」が伝えられないままになってしまうのではないでしょうか。

私は声を大にして言いたい!日本人らしい、日本文化を背負った、日本人独自の色彩を放つ英語をもっと胸を張って話そうじゃないかって。アメリカやイギリス目線でしか物を言うことができないほうが、もっと恥ずかしい。もっと自分の意見を持って、どうやってそれを自分らしく伝えようか、という事にフォーカスしたようがいいと思います。そして英語云々はさておき、自分の意見を持っていないのが、一番恥ずかしくて残念なことだと思います。

Wednesday, September 4, 2013

How to "swim" in Tokyo

Last week, I came across the blog by my former yoga teacher, Summer. I took her yoga class during my first semester at Purdue and loved the way she taught. She obviously had a lot of passion for yoga and that's rather normal, but what made her special was that she seemed to *genuinely* care about each of her students. A lot of yoga teachers I have had LOVE yoga of course but they tend to get carried away, forget about their students, and end up indulging themselves. Summer was different. She loved her students and really wanted them to feel good.

When I read her blog entry last week, and I realized she was also a good writer. On her latest post titled "Reflections on Transition, Pain and Gratitude", she talks about her recent transition that came with both excitement and sorrow. Her husband got his dream job as an academia, but that meant moving. So she closed all her business in Indiana and they moved across the country to a small town where they were both born. She says while she's blessed that her husband got a job he was dreaming of, she feels "a sense of groundlessness." For the first time in over 20 years, she doesn't have to get up and go to work or school. And even though she lives only 90 miles away from her family, she says, "As an extrovert I thrive on people, but I’m currently without a community."

When I read her story, I couldn't agree with her more. I completely understood what she meant by "a sense of groundless" and a feeling of being "without a community." I am in a similar situation. After graduating from Purdue in May, I came back to Japan and started living in Tokyo. And I hate to admit to you, but I am struggling. I simply don't know how to live in Tokyo. I knew how everything rolled in the U.S., but I haven't the faintest idea about how things work in my own country. Yes, laugh at me, I am a Japanese that has to get used to living in Japan. As an adventurous extrovert who went across the ocean by myself, it may seem really odd, but I haven't made a single friend in Tokyo yet.

What do I do in a situation like this? I lament and let my friends know how miserable I am. Shonna, my best friend from college has listened to my laments many times and always put me back in the right place. This time, the victim was Fabio, my online friend of 14 years whom I've never met in person but whom I somehow magically trust. He has a PhD in literature from Indiana University and now became a professor at an American university located in Rome. He is also a journalist who publishes many articles. He has listened to many of my laments in the past and he's known for giving me rather harsh but really practical advice. Whenever I'm down after some life-or-death drama happens to me, he says, "Naoko, swim!! or you will sink!!" He told me before that he doesn't like saying "life goes on" and prefers saying "swim!" instead.

So what did Fabio say to me this time? He told me to write and try to publish an article. He said I should contact a professor that I trust in the U.S. and tell them that I'm reflecting on the subject and I want to know if my reflections are interesting. He also told me to participate in seminars, conferences and keep myself busy and mentally active.

About my fear of not belonging to any community for the first time, he said, "Now you are a scholar. It's not true you are out of a community. You are now a member of graduate people. You have only to learn how to interact."

He also mentioned that I was so worried at the beginning of graduate school, but after a while I got used to it and was happy again, and he said, "There is time for changing, improving, searching and you have to find a new sense for your life."

In the course of our one hour chat or so, Fabio gave me many other advice. The first item on the To-Do list was to go get a notebook to write about my project, "How to 'swim' in Tokyo".


Friday, July 19, 2013

ある7月の夜

夕ご飯の後、お茶を淹れてくれていた彼に私は公園に行きたいと言った。
今日は夕方スーパーに買い物に行ったのを除けば外出していなかったし、夜風にあたって少し歩きたい気分だった。ちょうど新宿中央公園の広場がEvening Barという夏限定のイベント会場になっていて、屋台を乗せた軽トラが幾つか軒を並べ、人口の滝をバックにテーブルと椅子も準備されていて、仕事帰りのサラリーマンやOLが新宿の高層ビルが放つ夜景をビールを手に楽しんでいた。この広場は朝はラジオ体操の場所であり、昼間はスケボーや演劇を練習する若者が集い、そしてときにホームレスが食料の供給を受ける場所にもなる。目の前にあるビルは都庁。その先にも未だに溜息が出るくらい高いビルが幾つも並ぶ。こんな大きな街に住むのは私は初めてのことだ。高校を卒業するまではのどかな信州松本で育ち、上京してからは大学のあった世田谷区のできるだけ静かな住宅街を探して、等々力という大井町沿線の町に2年住んだ。それから渡米して10年ほどアメリカの南部や中西部で暮らしたが、どの町も大きくはなかった。

新宿中央公園には私の知る限り野良猫が3匹いて、その中で最も愛嬌があるのがメスの三毛猫「ほっこり」だ。今夜もほっこりにあげるための餌をポッケに入れて公園に行った。ほっこりは今朝ラジオ体操の時に見かけたのと同じベンチに座って、知らない男の人になでられて目を細めていた。その人が去って行った後にすかさずほっこりに餌をあげようと近づいたが、さほどお腹がすいていなかったらしく、あまり餌にも私にも関心を示そうとしなかった。

公園内の「アスレチック」をひととおり試してみた後、私達はいつもとは違う道を通ってアパートに帰ることにした。信号を渡ればすぐ、というところでポツ、ポツ、と雨が降り始めて、あっという間に大粒の雨に変わり、家に着く頃には雷混じりの豪雨になっていた。これから銭湯に行こうと話していた矢先だったので、暫くは外に出られないね、と雨でびしょぬれになった彼の髪を、エレベーターの中でそっとなでた。

その雨はどうやら通り雨だったらしく、30分もすると小降りになっていた。雨が止むのを待ち構えていた私達は、銭湯道具をかごに入れてそれっと外に飛び出した。外に出ると近くのスナック・カラオケから出て来た5〜6人の客が輪になって何かをしきりに話し、通りを塞いでいて、私達はなかなか前に進めない。やっと気付いたその中のひとりが「ほら、邪魔だよ」と通りの真ん中にいた女性を端の方に追いやってくれた。彼は念のために持って来た傘を手に持っていたので、さっき道を塞いでいた女に傘で『こて!』とか言って突然剣道の小手をしたら面白かったよね、と私が冗談で言ったら、こてって何?と彼。私が中学の体育の授業で剣道が大好きだったことや、ユーモラスかつ技巧的な小手の極意などを話しながら、銭湯までの細い道をふたり歩いた。そんな夜だった。


Monday, July 1, 2013

"reader's high"

June came and went. July suddenly appeared out of nowhere, without notice, and I haven't the faintest idea how quickly time can pass. The weather has been beautiful despite it supposedly being the rainy season in Japan. I read three books. As soon as I finished reading "The Notebook", I started reading two books simultaneously. One is Haruki Murakami's new novel, "Colorless Tsukuru Tazaki and His Years of Pilgrimage" and the other is「怒らない禅の作法」—a book about zen. Then I moved on to a new book (essay) by Mariko Hayashi, which was too trashy to even mention the book title.

Now I'm reading "The Great Gatsby" by F. Scott Fitzgerald. Why Gatsby? Two reasons. Because I saw the movie recently and was curious how the novel was written originally. Also, I found out that it happened to be Haruki Murakami's favorite book of all time. In an essay entitled "As Translator, as Novelist," Haruki Murakami notes, "When someone asks, 'Which three books have meant the most to you?' I can answer without having to think: THE GREAT GATSBY, Dostoevsky's THE BROTHERS KARAMAZOV, and Raymond Chandler's THE LONG GOODBYE. All three have been indispensable to me (both as a reader and as a writer); yet if I were forced to select only one, I would unhesitatingly choose GATSBY. Had it not been for Fitzgerald's novel, I would not be writing the kind of literature I am today (indeed, it is possible that I would not be writing at all, although that is neither here not there)."

Anyway...why can I not stop reading lately? Am I experiencing the "reader's high"? Last fall, I experienced what seemed like the runner's high for the first time and this spring I had the writer's high after finishing up the master's thesis I'd written for 1 year. As a reader's high symptom, I feel restless unless I have new books waiting in the queue. I'm already chapter 3 of Gatsby and starting to feel anxious about the next book. I'm thinking of reading some old books by Murakami. There are still a surprising number of books by him that I haven't read yet, and his famous"Kafka on the Shore" may become my next victim.